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東京地方裁判所 平成6年(ワ)23572号 判決

原告

浅見信也

被告

岸本敏明

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  原告

被告は、原告に対し、金六七三万二七七九円及びこれに対する平成六年一二月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告

請求棄却

第二事案の概要

本件は、交通事故で受傷した原告が、被告に対し、損害賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実

次のとおりの交通事故が発生した。

(一)  日時 平成二年八月二五日午前三時四五分ころ

(二)  場所 東京都世田谷区桜丘三丁目九番地先千歳通り路上

(以下「本件道路」という場合がある。)

(三)  加害者 被告

(四)  加害車両 原動機付自転車(世田谷区ぬ三二九三)

(五)  被害者 原告

(六)  態様 被告の運転に係る加害車両が原告に衝突した。

二  争点

1  原告の主張

(一) 被告の責任原因

原告は、自宅に帰る途中一〇メートル位歩いたところを、被告の運転に係る加害車両に衝突されたのであり、被告には民法七〇九条ないし自賠法三条の責任がある。

(二) 傷害の内容及び治療の経緯

原告は、本件交通事故により、右大腿骨頸部骨折、右大腿骨幹部骨折、全身打撲、左腸骨骨折の傷害を負い、このため次のとおり入通院治療をした。

〈1〉 入院 平成二年八月二五日から同年一〇月一七日まで小倉病院において、骨折した箇所の接合手術を受けた。

〈2〉 通院 同年一〇月一八日から平成三年八月五日まで

〈3〉 入院 平成三年八月六日から同年八月一五日まで

小倉病院において、金属棒を除去する手術を受けた。

〈4〉 通院 同年八月一六日から同年一二月一〇日まで

(三) 損害

(1) 治療費 一九五万九〇五三円

但し、原告が、私立学校教職員共済組合から支払を受けた八三万円を含んでいる。

(2) 文書費用 二万七七五〇円

(3) 付添費用等 三八万六三七八円

(4) 休業損害(期末手当分) 二五万九〇五〇円

(5) 入通院慰謝料 二一〇万〇〇〇〇円

(6) 後遺症慰謝料 二〇〇万〇〇〇〇円

(7) 小計 六七三万二二三一円

(8) 填補(自賠責分) 五七万一七〇二円

(9) 損害額 六一六万〇五二九円

(10) 弁護士費用 六〇万〇〇〇〇円

(11) 合計 六七六万〇五二九円

請求の趣旨記載の請求金額は、右合計額の範囲内の金額である。

(四) 時効の主張に対して

原告の受けた傷害について、その症状が固定した日は、平成三年一二月一〇日であり、また、原告の病院に対する支払は、平成四年一月二五日であるので、時効は、右同日から進行すると解すべきである。したがつて、消滅時効は完成していない。

2  被告の主張

(一) 被告の責任原因

本件事故は、原告が酒に酔つて幹線道路上で寝ていたことにより、引き起こされたものであつて、原告にとつて、避けられなかつたものであるから、過失はない。

(二) 損害の填補

自賠責保険から原告に対し、一一九万八二四〇円が支払われている。仮に被告に過失があつたとしても、原告の側の過失割合を斟酌して、過失相殺をするならば、原告の損害はすべて填補されているので、原告の被告に対する損害賠償請求権は存在しない。

(三) 消滅時効

原告が本訴を提起した平成六年一二月一日には、本件事故の日である平成二年八月二五日から満三年を経過していた。交通事故によつて負傷したことによる損害賠償請求権の消滅時効は、社会通念上、損害及び損害額を算定し得る程度に症状が固定したときから進行すると解すべきであるから、原告の損害賠償請求権は、既に時効により消滅した。被告は本訴において消滅時効を援用する。

第三争点に対する判断

一  事故態様及び被告の責任について

1  甲第二ないし第四号証、第一五号証、乙第一号証、第四ないし第六号証の各一、二、原告、被告各本人尋問の結果によれば、次のとおりの事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

被告は、平成二年八月二五日午前三時四五分ころ、フルフエイスのヘルメツトを装着して、加害車両を運転して、時速約五〇キロメートルの速度で、東京都世田谷区桜丘三丁目九番地先道路(千歳通り)上の左側を進行していた。本件道路は、歩車道の区別のある、車道部分の幅約八メートルの道路である。本件事故当時、通行する車両はほとんどなかつた。本件事故現場付近に街路灯はあるが、数メートル間隔に樹木があり、本件事故当時、路上は暗かつた。

被告は、自車の三ないし四メートルほど前方に、原告が頭を歩道側、足先を中央側にして、仰向けの姿勢で車道上に伏しているのを発見した。被告は、突然のことで、制動措置を採ることができず、ハンドルを右に切つたが、原告の太股の上に乗り上げ、その衝撃で被告は転倒した。

ところで、原告は、高校の教諭であるが、本件事故の前日の平成二年八月二四日午後七時ころから、渋谷のレストランで、友人と飲食を共にし、ビール一杯及びウイスキーダブル五ないし六杯程度を飲み、その後、午後一二時前後から、溝の口のカラオケ・スナツクにおいて、少なくとも、ビールを二本位飲んだ後、タクシーに乗つて自宅に帰ろうとしたが、自宅付近に至ることができず、本件事故現場付近で、タクシーから降りた。原告は、帰路のタクシー内で寝入つたことは覚えているが、タクシーから降りたころ以後のことは全く覚えていないと供述していること、右認定した状況からみて、被告は、事故当時、本件道路で寝込んでいたものと認められる。

2  以上認定した事実によつて検討する。

本件道路は、幅約八メートルの歩車道の区別のある幹線道路であり、夜間の通行はほとんどなかつたこと、被告は、時速五〇キロメートルで、ごく通常の運転をしていたこと、他方、原告は、夜中の午前三時四五分ころに、被告の進行する車線のほぼ中央で、足先をセンターラインに向けて、車両の進行を妨げるような位置で寝込んでいたこと、被告は、原告を発見するや、直ちに、ハンドルを右に切つて、衝突をさけようとしたが、結局、回避することができずに、原告の太股に乗り上げてしまつたこと等の事実に照らすならば、被告が、加害車両を運転するに当たり、夜間車道上で寝ている原告を発見した後、衝突を完全に回避する措置を採ることができなかつたからといつて、原告に前方不注視ないし適切な運転操作を誤つた等の過失があるものと認めることはできない。

なお、一般的に、路上に寝込んでいた者に衝突した場合であつても、前方を注意して運転していさえすれば、衝突を避けることができる点をとらえて、被告の過失を一応肯定し上で、大幅な過失相殺をするという考え方もあり得ないわけではなく、そのような考え方に従えば、交通事故により被害を受けた者に対する救済を図ることができる場合もあろう(もつとも、本件では、そのように考えた場合であつても、原告の後遺症の程度に照らすならば、損害額はさほど多いものではなく、他方、原告の過失が極めて大きいことから、過失相殺をした上で、既払額を控除すると、原告の損害額は残存しないことになり、原告の請求はいずれにせよ、認められないことになる。)。しかし、そのような考え方があり得るにしても、本件においては、なお、夜間、飲酒の上、幹線路上の中央付近で寝込むことは極めて異常な行動であること、右のような行動は、自己に対してのみならず、第三者に対しても、極めて危険な行為であると解されること(被告は、ハンドルを右に切つたことにより、センターラインを超えた場所で、転倒した上、ようやく止めることができた。)に照らすならば、車両を運転する者が、通常、このような異常な行動を採る者があることまで想定して、これに対応すべき注意義務及び結果回避義務があるとして、被告の過失を肯定することは適当でない。

したがつて、原告の請求は理由がない。

二  被告の消滅時効の主張について

以上のとおり、原告の請求は、その余の点を判断することなく理由がないが、被告の消滅時効の主張について付言する。

甲第五号証ないし第一四号証(枝番の表示は省略する。)及び原告本人尋問の結果によれば、次のとおりの事実が認められる。

原告は、本件交通事故により、右大股骨頸部骨折、右大股骨幹部骨折、全身打撲、左腸骨骨折の傷害を受け、平成二年八月二五日から一〇月一七日まで小倉病院に入院して、骨折した箇所に補強用の金属棒を挿入した上、骨折部の接合手術を受け、ほぼ順調に回復したため、平成三年八月六日から同月一五日まで入院して、金属棒を除去する手術を受けた。なお、小倉病院の医師の平成三年一二月一〇日付け作成の診断書には、右同日に原告の傷害について症状が固定し、その程度は、右股、膝、足関節可動域は正常、正座のみ不可である旨の記載がある。

ところで、交通事故により受けた傷害の後遺症に係る損害賠償請求権の消滅時効は、被害者において、後遺症等が存在する場合には、後遺症に基づく逸失利益ないし精神的苦痛による損害の発生を予見し、その賠償を請求することが社会通念上可能であつたものとみられるときから進行すると解すべきであるところ、右認定した事実の経過に照らすならば、原告の受けた傷害は、ほぼ順調に回復し、その後、補強用の金属棒の除却手術を受けて、無事に終了して、退院したのであるから、右手術のための退院の時から遅くとも一か月後の平成三年九月一五日には、後遺症に基づく逸失利益ないし精神的苦痛による損害の発生を予見し、その賠償を請求することが社会通念上可能であつたものとみられるから、右同日から、本件損害賠償請求権の消滅時効は進行を開始したものと解するのが相当である。

したがつて、原告の損害賠償請求権は、原告が訴えを提起した平成六年一二月一日には、時効により消滅した。

原告の請求は、右の理由からも失当である。

第四結論

以上によれば、原告の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 飯村敏明)

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